摘要:
中日文化交流中,语言文化交流占有基础性地位。本文便是从语言研究这一角度论述了中日关于“先生”一词的使用区别。本文首先分别阐述了各自辞典中关于“先生”一词的含义和表现形式,分析了中日两国关于“先生”一词的语义变迁,并举出大量事例进行对比区别。第三部分,论述了中日关于“先生”一词的使用区别。其中,论述了关于日本的称呼心理、考虑场合的必要性、人际关系的语言原理与语言背景。由此可见,词语与其使用的场合有密切的关系,不容忽视。通过本文,对于“先生”一词的含义和使用方法的理解将变得深刻。
关键词:先生 变迁 对象 场面 使用区别
要旨:
日中文化では、言語のコミュニケーションは基本的地位を占めている。本稿では、言語文化研究という観点から、日中における「先生」の使い分けについて論じた。まず、それぞれの辞典によって「先生」という言葉の意味と表現形式を調べ、過去における「先生」という言葉の意味変遷を分析し、または、多くの例を取り上げて対比的に区別している。第三の部分では、場面における日中の「先生」の使い分けを論じ、そこで、日本の呼称心理、場面を考える必要性、人間関係に関する言語原理と言語背景を述べた。こうして、言葉はその使用場面と密接的な関係があって、ゆるがせにしてはいけないということが分かる。本稿を通じて、「先生」という言葉の意味と使い方についての理解が深められるのである。
キーワード:先生 変遷 対象 場面 使い分け
目次
1 はじめに 3
2 現代における「先生」という言葉の意味について 3
2.1 日本における「先生」という言葉の意味 3
2.2 中国における「先生」という言葉の意味 4
3 過去における「先生」という言葉の意味変遷 5
3.1 日本における「先生」の使う場合、対象、それそれ時期の発展 5
3.2 中国における「先生」の使う場合、対象、それそれ時期の発展 6
4 場面における日中の「先生」という言葉の使い分け 8
4.1 心理の面において 8
4.2 場面の面において 9
4.3 人間関係において 9
5 おわりに 10
1 はじめに
日本と中国における、意味と用法がまったく同じでない言葉はよく同じ漢字を書く時がある。「先生」という言葉はそのような一つの例である。「先生」という言葉は日本にも中国にもあって、広く使っている。しかし、それについての理解、使用は両国に月とすっぽんというような大きな違いが見られる。日中における「先生」の概念、内包及び使い分けを調査と分析をして、異文化間コミュニケーションに対する理解能力を強めるのは、この論文を書くためだ。
本稿では、現代における「先生」という言葉の意味について、過去における「先生」という言葉の意味変遷、場面に日中の「先生」という言葉の使い分けという三つの部分からなっている。その中で、いろいろの資料を生かして、「先生」の概念、内包及び使い分けを述べ、異文化間のコミュニケーション目的に達したい。
2 現代における「先生」という言葉の意味について
2.1 日本における「先生」という言葉の意味
日本における「先生」という言葉の意味について、いくつかの辞典では詳しく述べられている。
『広辞苑』の第五版では、「先生」という言葉の意味は五つに分かれている。①先に生まれた人。「後生」に対する言葉である。②学徳が優れた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称。「徂徠――」「お花の――」③学校の教師。「担任の――」④医師、弁護士など指導的立場にある人に対する敬称。「――診てもらう」⑤他人を、親しみまたはからかって呼ぶ。
三省堂が出版した『大辞林』でも、「先生」という言葉の意味を五つに分けれている。①学問、技芸などを教える人。また、自分が教えを受けている人。師匠。また、特に、学校の教員。「お花の――」「書道の――」
②学芸に長じた人。「駿台――」③師匠、教師、医師、弁護士、国会議員などを敬って呼ぶ語。代名詞的にも用いる。また、人名のあとにつけて、敬称としても用いる。「――、いろいろお世話になりました。」「中村――」
④親しみやからかいの気持ちを込めて、「大将」「やっこさん」に似た意で用いる。⑤自分より先に生まれた人。年長者。
『日中辞典』(1987年4月版)では、「先生」という言葉の意味も五つに分かれている。①教える人。(学校の教員、技芸の先輩)「音楽の――」「お茶の――」「大学の――」②医者。「大学病院の――診断を受ける」③敬称。「弁護士のB――」「陳――の講演を聞く」④からかう気持ちを持つ呼称。「2階の――は、ふさいでいるよ。」⑤先に生まれた人。敬語の表現。
2.2 中国における「先生」という言葉の意味
中国で一番権威的な辞典である『辞海』では、「先生」という言葉の意味は五つに分かれている。①お父さんあるいはお兄ん。「有酒食,先生馔。」(论语·为政)。『何晏集解引马融曰:「先生,谓父兄。」』②教師。「从于先生,不越路而与人言。」(礼记·曲礼上)「先生,老人教学者。」その意味は年長者を敬って呼ぶ語になる。③女性は自分の夫、ほかの人の夫の称。(方言)医者。⑤道士。「玄都开秘录,白石礼先生。」(中元日观诸道士步虚)
『中日辞典』(1992年1月版)では、「先生」という言葉の意味は六つに分かれている。①〈旧〉職業としての先生である。現在、学校の「先生」は一般に〝老师(lao shi)〝を用いる。「教书先生」――学校の先生。②...先生。高名な学者や知識人などに対する敬称として用いる。「鲁迅先生」――魯迅先生。③...さん。男性に対する敬称、特に外国人に対して用いることが多い。「铃木先生」――鈴木さん。外国人は中国人に対し、「同志」よりも「先生」を用いるのが普通。④人の夫、自分の夫の称。いずれの場合も人称代名詞を冠する。「你们先生在家吗?」――ご主人は在宅ですか。⑤〈方〉「孩子病了,请个先生来看看」――子供が病気だから医者を呼んできてください。⑥〈旧〉講談師、易者、商店の会計係に対する敬称。「算命先生」――易者、占い師。「说书先生」――講談師。
3 過去における「先生」という言葉の意味変遷
3.1 日本における「先生」の使う場合、対象、それそれ時期の発展
以上のことで、日本における「先生」という言葉の意味は大体理解した。日本には、「先生」という言葉はいつも敬称として使っている。そして、一番広く「教師」と「医者」の意味として使われる。または、議員、弁護士などに対して、よく「先生」で呼ぶ。そのほかの人に姓のあとに「さん」を付けて呼ぶ。例えば、「小松さん」、「佐藤さん」などである。日本では、「さん」は「先生」より使う範囲が広いと思う。
日本では、場合を考えず「先生」という言葉を思うままに使ったら、不愉快な気持ちを引き起こしやすい。次の例を見てみよう。
ある工員は中国に旅行した。中国のガイドさんは彼にとても親切だ。よく彼に「先生、どうぞおかけください。」とか「先生、お茶をどうぞ」「先生、どうぞお乗りください。」と言った。その工員は最終たまらなくなり、ガイドさんに「『先生』と呼ばないでいただけますか。」と言った。若いガイドさんはそんな話を聞いて、おかしいと感じた。「尊敬の念を込めて『先生』と呼んだのですが。」と言った。日本の工員の解釈を聞いた後、怒った原因をわかった。
本来、日本における「先生」という言葉が思うままに使うのはだめなのだ。学校の教師、作家、国会議員、弁護士、医者だけが「先生」と呼ばれる資格がある。そのほかの場合に、姓のあとに「さん」を付けて呼ぶ。これによって、日本語の「先生」と中国語の「老师(lao shi)」の間に微妙的な区別がある。多くの人はまだ、この二つの言葉を直訳するか、または使いわけることができない。その若いガイドは両国に言葉の違い文化内包を知らないで、お客様に誤解を引き起こした。
日本における「先生」という呼称から見ると、日中の文化交流能力の重要性を理解できる。日本は中国と違って、サービス業の人は見知らぬ人に「お客様」と呼んで、「先生」とは呼ばない。中国人はよく中国語の意味を日本語に当てはめ、「先生」を日本人に対して最高の敬語として、相手の地位を問わず、みんな「先生」と呼ぶ。実は、日本における「先生」という言葉は敬称ですが、使う範囲は中国語の「先生」より狭い。
日本では江戸時代から、教師、学者、芸人を「先生」と呼び始めた。それは中国語の影響を受けたのである。明治維新前後、医者、弁護士、政治家は私塾形式によって、弟子を募集した。それで、彼らも「先生」と呼ばれる。「先生」の価値はその文化内包にあって、政治権利や経済実力と関係がない。だから、政治官僚、企業界の社長は「先生」と呼ばれる資格がない。現代社会に入ってから、民主意識と教育水準の高めることにしたがって、「先生」という言葉を使う範囲は広くなって、大衆の尊称になる。人の呼称を間違えるより、むしろ「先生」と呼んだほうがいいと思う。しかし、「先生」と呼ばれる人は「先生」と呼ばれる資格があるとは限らない。その時、「先生」と呼ばれる人はからかわれでる感じと感じる。こう見ると、「先生」という言葉は日本人に慎重に使うべきだ。
3.2 中国における「先生」の使う場合、対象、それそれ時期の発展
中国における「先生」という言葉の用法について、日本に似ているところは、敬称として使っていることである。中国には「同志」という言葉もある。それは「先生」という言葉と同じく古い。「同志」は日本語の「さん」にあたる敬称として、見知らぬ人への呼びかけとして、新中国ではひろく使われだした。現在、「先生」という言葉は社会に最もはやっている言葉になって、各分野に広く使われている。
中国における「先生」という言葉の意味は、辞典によれば一番多くの解釈は「教師」である。すなわち、「先生」は「教師」の最も古い呼称である。古代において、中国人の「先生」の用法は日本人と同じだ。中国では、世界に有名な教育家「孔子」は「最初の先生」とされている。その時、知識を授ける人は「先生」、「私塾先生」、「教书先生」などと呼ばれる。中国における「先生」という呼称は長い歴史を持つ。しかし、各時期に呼ばれる対象はそれぞれ違い、つまり、「先生」と呼ばれる人は変化している。
「有酒食,先生馔」では、お父さんとお兄さんを「先生」と呼ぶ。戦国時代に、年長者、あるいは学問を持つ人を「先生」と呼ぶ。「从于先生,不越路而与人言」では、「先生」の意味は「教師」である。これは「教師」を「先生」と呼ぶ最初の例である。漢代では、「先生」という言葉の前に「老」を付けて、「老先生」になる。清の初、「相国」を「老先生」と呼んで、「先生」という呼称は官場に至る。乾隆以後、官場に「老先生」を使うのはだんだん少なくなる。辛亥革命の後、「老先生」という呼称はもう一度流行してきた。交際の場合、老練な人に一律に「老先生」と呼ぶ。現在、妻は自分の夫もほかの人の夫も「先生」と呼んでいる。
現代に、「先生」という言葉の主な意味はすべての学問者、豊か知識を持つ者に対する尊称である。この点では日本における「先生」の用法に似て、複雑ではない。しかし、1949年前後、英語の「sir」と「mister」の影響を受けて、「先生」という言葉の使用範囲は広くなる。「先生」はすべての知識を持つ男性の敬称になる。社員であろうと、監督であろうと、「先生」と呼んでもいい。男性に対する「先生」、女性に対する「女士」と呼ぶ社会に入った。けれども、教育界に「先生」を伝統的呼称として以前のままに使っている。いつも品格が高く、声望がある教師を「先生」と呼ぶ。例えば、偉い文学家である魯迅が書いた「藤野先生」は、確かに「先生」をたたえる名作として伝えられる。そのほか、わが国に現代教育家として、陶行知、叶圣陶、闻一多などを「先生」と呼ばれる。ある時、品格が高く、声望がある女性も「先生」と呼ばれる。例えば、「宋庆齢先生」。こう見ると、中国における「先生」という言葉の意味には二重性があるのように、品格が高く、声望がある人を呼ぶだけでなく、呼びかける時男性に対する一般的な呼称である。それに対して、日本における「先生」という言葉の使用対象は狭いと思う。
4 場面における日中の「先生」という言葉の使い分け
4.1 心理の面において
呼称は、人間関係を基礎として、二人以上の人間の言語行為である。それも社会文化の問題でもある。呼称の使用はある民族の社会心理と密接的な関係がある。この点では、日本における明るい表現がある。
まず、社会生活の中で、日本人は教師、上司、先輩など目上の者に人称代名詞の呼称を使わない。その場合に、「あなたの奥様」と言わず、「先生の奥様」と言うべきだ。それに反して、目上の者は学生、部下など目下の者に人称代名詞の呼称を使う。「きみの奥さん」という言い方が普通のようである。
次に、目下の者はよく相手の地位名称を呼称として目上の者を呼ぶ。例えば、「先生」、「社長」などだが、目上の者は目下の者にこのような地位名称を使わない。
ところで、日本人はほかの人を呼ぶとともに、目上の者に親族の関係名称や地位名称を呼称として使うのは、その人が家庭や社会に持った権利を受けたことである。つまり、尊敬の表示である。この点では、日中における「先生」という言葉を使うのは大体同じだ。しかし、中国における「先生」を一般男性に対する尊称であるのに対して、日本ではそうではない。なぜそんな区別があるが日本人はある共同的な性格特徴を持っている。それは、「自我不安定感」と言う。日本人は相手に地位名称と呼ぶのは、相手の立場や地位に依存し、相手と自分の心理距離を縮みたいためだ。これによって、会話の中で、安心感を得るのである。
4.2 場面の面において
ここで、日中における「先生」という言葉を使っているうちに、場面を考える重要性について、述べてみよう。
日本では、中国より「先生」という言葉の使用範囲は狭い。ただ、学問のある人、技芸のある人などを「先生」と呼んでもいい。そのほかの人を「先生」と呼んではいけない。もし、場合を考えなければ、ある時、「先生」と呼ばれる人は恥ずかしいと感じる。例えば、工員、農民に「先生」と呼んでは、相手は自分が尊敬される感覚がなく、からかわれている気持ちを引き起こす。こういう呼称は彼らの身分に適していないためだ。川柳にもある名言がある。「先生と呼ばれるほどの馬鹿でないし」と言う。こう見ると、「先生」」という言葉を使っている中で、場面は重要な位置を占める。日本における特別な注意を持つべきだと思う。
中国では「先生」という言葉が現在の流行語ように広く使われているが、場面を考える必要もある。近年来、「先生」という言葉について、いつも「教師」、「年長者」などの意味が省略されて、そのほかの関係がない意味に延長した。相手は知識を授けるかどうかも問わず、「先生」と呼ぶ。例えば、職員、役員、会議の出席者などは全部「先生」となる。80年代以来、男のサービス係まで「先生」と呼ぶ場面がある。それは、滑稽そのものだ。古代の「先生」という言葉の文化内包を思い出せば、これは、文化の流失と見えるべきではなかろうか。
4.3 人間関係において
人間関係は日本の社会に一つの重要な内容である。日本の社会では、一般的に言えば、地位を持つ人は尊敬される。だから、地位名称を呼称として使うとき礼儀正しいと感じられる。地位名称はいつも「権利」を持つ人に属している。社会関係の中で、こういう地位名称は目下の者が目上の者に対して最も適当な呼称である。日本の社会に、このような地位名称がたくさんある。例えば、「社長」、「部長」、「次長」、「課長」、「主任」、「店長」とか、「先生」、「先輩」とか全部目上の者に使うべきものである。それらは単独的に使ってもいいし、姓のあとに付けて使ってもいい。例えば、「田中先生」、「小松店長」などである。
日本には、「ウチ」と「ソト」の厳しい区別がある。「ソトの人」と「ウチの人」に対する呼称も区別される。「ウチの人称」を使う対象は、話し手が発話時に心理的に自分のウチの人だと認知している人で、「ソトの人称」を使う対象は、話し手が発話時に心理的に自分のソトの人だと認知している人である。「先生」という言葉は、「ソトの人称」に属しているので、先生は生徒に向かって、自分を地位名称で「先生は......」と言えるが、生徒は先生に向かって「生徒は......」と言えない。ここで「師徒の関係」を反映している。また、相手が子供の場合、例えば、医師や警察官が自分を「お医者さんは......」、「おまわりさんは......」と言うように、自分を職業名で称することは普通に見られることである。ここで、「医者と病人の関係」、「警察と公民の関係」を反映している。こう見ると、人間関係はいつでも人間の呼称を貫通している。このような現象は中国では厳しく要求されていない。
5 おわりに
本稿では、現代と過去におけて、それぞれ「先生」という言葉の意味と用法を述べ、対比的に分析した。それから、心理、場面、人間関係の面から、日中における「先生」の使い分けを論じてみた。ここで、次のような結論を出してみる。
まず、「先生」という言葉は、日本でも中国でも特別な意味を持っており、つまり、日本では「からかう気持ちを持つ呼称」という意味があるが、中国では、「女性は自分の夫、ほかの人の夫の称」とか、「一般男性に対する敬称」とか、「〈旧〉講談師、易者、商店の会計係に対する敬称」などという意味がある。
また、現在、中国では「先生」という言葉は一般男性に対する尊称として使われているのに対して、日本では「先生」という言葉の使用範囲と使用対象は狭いということである。
さらに、日本では「先生」を敬称として使うとともに、民族心理や人間関係を考える必要がある。だから、「先生」という言葉は日本人に対して、慎重に使うべきだと思う。
注釈
(略)
謝辞:
本論文の作成には、指導教官の李光沢先生にいろいろご指導とご支持をいただきました。心から感謝いたしたいです。また、友達やアンケート調査に快く応じてくださった皆さんの協力も本論文の作成には欠かせないものだと思います。それから、入学以来日本語学部の先生方からも親切な指導を頂き、誠に感謝いたしたいです。先生、どうもありがどうございました。
参考文献
1 新村出.『広辞苑』第五版[G].日本:岩波新書,1998.
2 牧野成一.『ウチとソトの言語文化学』[M].日本:アルク出版社,1996.
3 水谷修.『日本事情ハンドブック』[M].日本:大修館書店,1995.
4 水谷修.『日本語の生態』[M].日本:創拓社,2000.
5 陳岩.<谈中日跨文化交流中本国文化和母语的干扰>[J].《日语学习与研究》,北京:2004.
6 唐磊.《现代中日常用汉字对比辞典》[G].北京:北京出版社,1996.
7 王秀文.《日本语言与社会文化》[M].大连:大连海事大学出版社,1993.