家電・IT産業にみる中国企業と日本企業の競争力
丸川知雄(東京大学社会科学研究所)
はじめに
日本経済の低迷が続くなか、(経済的)中国脅威論が勢いを増している。曰く、「中国からの安価な製品によって日本国内の産業が衰退してしまう。その一つの要因は人民元の為替レートが安すぎることにあるので、中国に人民元の切り上げを迫るべきである」「日本の企業が盛んに中国に工場進出する一方、国内の工場では人員を削減しており、これは日本国内の空洞化を招く。」
さらに中国製品の安さは、単に人件費の安さに基づくのではなく、公正な競争の土俵に乗っていないことにも依っているところがあるとの批判も起こっている。特に日本の金型工業会からは、日本国内の金型メーカーがユーザーである日本企業のために開発した金型の図面や加工データを、ユーザーがメンテナンスのためと称して提供させ、それを中国の金型メーカーに提供することによって日本国内の金型メーカーの仕事を奪っているという声が上がり、経済産業省がこの問題を重視して2002年に「金型図面や金型加工データの意図せざる流出の防止に関する指針」を公表した。
一方、貿易論の立場からは、「中国の生産性上昇によって中国製品が安くなることは日本にとって交易条件が改善することを意味し、日本国民の厚生増大を意味する」「日本と中国の貿易は競合する部分が少なく、補完関係である」ゆえに日本が中国を脅威と感じるのは当たらない、という反論も聞かれる【1】。
日本国民の厚生の問題として考えれば、中国を脅威と感じるのは当たらないという貿易論の立場からの反論は全く正当なものである。日本政府が国内産業の保護に乗り出したり、中国に人民元切り上げを迫ったりすれば、それは日本全体の利益を損ねる。しかし、個々の生産者のレベルで見た場合、中国が脅威になるケースは少なくない。中国からの安価な椎茸の流入に悩む日本の椎茸農家などはまさに最も大きな脅威にさらされているケースであるし、中国の金型メーカーに仕事を奪われる日本の金型メーカーも同様である。さらに、日本が比較優位を持つとされる自動車産業だって、日本の自動車メーカーが中国市場で中国の地場メーカーや中国に立地した欧米自動車メーカーと競争しているという意味では、中国はやはり競争相手なのである。中国にはおよそ製造業のあらゆる分野において現に日本企業の競争相手となっている、あるいは競争相手となる可能性を持った地場企業が存在し、さらに中国を足場とする欧米企業や韓国・台湾企業との競争もある。
1985年以降の円高局面で日本企業が東南アジアに大挙して生産拠点を移転したときには、生産の場所は比較優位に沿って変わったものの、生産主体は相変わらず日本企業だった。ところが、今度は日本企業間での系列の解体とも重なり、比較優位に沿って生産拠点が移転するのみならず、生産の主体が日本企業から中国企業に変わるという動きも伴っている。マクロの国民経済のレベルでみると、日中貿易は補完関係にあり、貿易関係の拡大は日本に有利であるとしても、企業のレベルでは非常に多くの分野で、中国企業ないし中国に進出した外国企業を競争相手として意識するようになってきているというねじれ現象が、問題を複雑化させている。
ミクロレベルの問題を国全体に敷衍することは誤りであるが、同様に、マクロの議論でミクロの問題を論じるのも誤っている。日本の椎茸農家に対して、日本は椎茸生産に比較優位がないのだからあきらめろと言ったり、日本の自動車産業に対して、日本は自動車生産に比較優位があるのだから安心していろということは有害無益である。その意味で筆者は中国脅威論が全くナンセンスな議論だとは思わない。日本の生産者が、中国の生産者の挑戦を受け止めてこれに負けないように実力を磨き、なおかつ成長する中国市場に果敢に挑戦していくことを促すという作用があるのであれば、中国の脅威を意識することは意味がある。ただ、日本のジャーナリズムはともすると中国企業の現状を見ないまま過大評価する傾向があることも事実である。まずは冷静に中国企業の競争力の実態を見ることが必要である。そこで、本稿では中国企業の伸長が著しいとされる家電・IT機器に焦点を当て、中国企業と日本企業の競争力を、中国市場での観察から分析してみたい。(なお本稿は両国企業への数多くのインタビューに基づいているが、煩雑になるので注記はしない。)
Ⅰ 中国の家電市場における中国企業と日本企業
中国における家電製品の消費は改革開放以降に始まった。中国の家電産業は当初は完全な輸入代替型産業であり、外国からの完成品輸入を輸入制限によって防ぐ一方、日本などからの技術移転(生産ライン導入)によって家電製品の国産化を進めた【2】。1980年代の間にカラーテレビ、洗濯機、冷蔵庫などに対する国内需要が飛躍的に拡大し、その結果、国内の産業も急成長した。ただ、当時はまだ中国の国民の自国製品に対する信頼は薄く、潜在的には日本製品に対する需要が強かった。それは日本視察の折りに必ず秋葉原詣でをするという行動になって現れた。
1990年代初頭になって、中国の輸出が伸びたことで貿易赤字が解消し、外貨に余裕が出てくるようになると、それまで抑えられていた日本製品に対する需要が密輸の形で噴出し、大量のテレビやVTRが密輸された。1990年代前半までは日本の家電製品が中国の家電製品より強い競争力を持っていることは誰も疑う余地のない事実であった。中国政府は輸入制限、高関税、直接投資の制限など色々な手段によって国内産業を保護しようとしたが、密輸の横行により、そうした保護も十分には機能しなかった。
しかし、密輸の氾濫は思わぬ効果をもたらした。それまで保護された市場のなかで高利を得ていた中国の家電メーカーは、1990年代初頭からの密輸品との競争、そして国内企業どうしの競争にもまれる中で実力をつけていった。テレビ、冷蔵庫、洗濯機など、それぞれの産業に100社近くの企業がひしめき合う状態だったのが、激しい競争のなかで競争力の強い企業がシェアを拡大していった。1993年頃から家電産業の直接投資に対する中国政府の制限的な姿勢がやや緩むと、日本の電機メーカーは大いなる自信をもって中国に進出していった。その結果はどうであったのか、各市場ごとに見てみよう。
1.カラーテレビ
1980年代の中国のカラーテレビ市場では上海電視一廠、上海無線電四廠、南京無線電廠、北京電視機廠、天津通信広播公司など大消費地の国有企業がカラーテレビ市場の上位を占めていた。当時、テレビは供給不足の状態にあり、テレビメーカーは作りさえすれば高率の利潤が得られたし、基本的に各地方の企業が地元市場に供給するという態勢だったので、いち早く生産の認可を得て、なおかつ地元に大市場がある企業が業界の上位を占めた。
1989年に突如需要が冷え込み、90年代に入って価格自由化が進むにつれて様相は一変した。大都市のテレビメーカーは生産コストの高さから没落し、生産コストで優位性を持つ企業が上位に上がった。1993年で第1位に立った康佳集団股份有限公司は、深圳に立地していることにより、輸入部品を入手しやすいこと、とりわけ委託加工のために関税免除で輸入した部品を国内向け生産に転用することで関税を逃れるといった操作がしやすい立場にある。また、広東省の珠江デルタ地域には内陸部からの出稼ぎ労働者が大量に流入しており、非熟練労働者の賃金は北京や上海に比べれば数分の1であることも競争上の優位をもたらす。
続く1994年には松下電器が業界首位に立った。当時、松下電器は中国での現地生産を始めておらず、松下製品はもっぱら輸入、それも大半が密輸によって中国に流入していた。この時点で松下電器は1989年に生産を開始した北京のブラウン管合弁企業を持つだけであったが、松下製品に対する高い人気に自信を深めた松下電器は1993年頃から家電産業のほとんどすべてのセグメントを網羅するように現地工場を作り始め、数年のうちに現地法人の数は37カ所に増えた。
松下電器のテレビ現地工場、山東松下映像産業有限公司が稼働を開始したのは1996年であったが、皮肉にもその翌年から松下電器の市場シェアは急落する。表1に示したように松下の売上は相対的にもまた絶対的にも急落したのである。代わって1997年から業界のトップ3を占めるようになったのが、長虹電子集団公司、TCL集団公司、康佳集団股份有限公司である。長虹は四川省の片田舎に立地することによる労賃の安さと、四川省の地元市場の大きさを競争力の基盤とし、さらに国有企業でありながら、計画経済の価格統制やブラウン管の購入規制をいちはやくうち破るという先見性により業界の首位に立つことができた【3】。
TCLと康佳はいずれも珠江デルタ地域に立地し、前述のような労賃と部品輸入における有利さを競争力の基盤としている。TCLは電話機メーカーとして名をなし、テレビに参入したのは1993年と他のメーカーに比べれば遅いが、電話機の販売で作り上げた販売網を活用してシェアを拡大していった。TCLは最初は香港系のテレビ工場にOEM生産してもらった自社ブランドテレビで参入し、それが軌道に乗ると自社工場を取得するといったように、徹底した販売主導の経営戦略をとっている【4】。
トップ3に続くテレビメーカーとして青島市の海信、深圳の創維RGB、青島市の海爾などがある。青島市の2社は基本的には長虹と同様に生産コストの低さと地元市場の大きさを基盤にしている。加えて海爾の場合には高水準のアフターサービスの提供や製品デザインの差別化が重要な競争力の要因となっている【5】。また、海信はそうした海爾の経営戦略を身近に観察し、それを模倣することによって力を付けてきていると言われる。
膨大な数の現地メーカーのなかからこうした有力メーカーが台頭するなかで、日系ブランドのシェアは低迷している。東南アジア諸国での日系ブランドの高いシェア、また1994年までの中国における日系ブランドの高い人気からして、こうした結果は日本企業にとって予想外のものであり、日本企業の現地法人では低稼働率に陥っている。新聞報道によれば、上海索広有限公司(ソニーの合弁企業)は1996年にカラーテレビ60万台、2000年に300万台の生産能力を形成するとのことであったが、表1によれば2001年の生産台数は31万台で、2000年に300万台という野心的な計画を放棄したとしても50%程度の稼働率にとどまっていたということになる。ただ、2001年の「ソニー」ブランドの推定販売台数は105万台なので、ソニーは中国国内で販売するテレビのうちかなりを輸入していたらしい。また山東松下映像産業有限公司の生産能力は新聞報道によれば1998年に40万台、99年に80万台であり、もし後者が実現されたとすると稼働率は63%程度ということになる。さらに、福建日立電視機有限公司と武漢JVC電子産業の場合は1~2割程度の低い稼働率だったと推定される。日立とJVCが2002年に撤退を決めたことも不思議ではない。
ただ、企業の目標がシェア最大化ではなく利潤最大化にあるのだとすれば、長虹、TCL、康佳等のシェアが大きいことはこれらの成功を必ずしも意味するものではなく、日系ブランドのシェアが小さいことも必ずしも失敗を意味するものではない。テレビ市場で上位の企業の売上高利益率は2001年の場合、長虹1.0%(上場企業の部分は1.2%)、康佳-10.2%、TCL3.4%、海信1.9%、創維RGB0.6%、海爾3.3%となっている【6】。一方、合弁企業の利益率は公開されておらず、仮にわかったとしても客観的比較は難しい。ともあれ、大きなシェアをとっている地場企業といえどもTCLと海爾が比較的良好な実績を上げている以外は概して利潤率は低い。つまり、地場のトップメーカーも激しいシェア獲得競争の結果、薄利多売の状態になっていることがわかる。
地場ブランドと日系ブランドが市場でどのような位置にあるかを示唆するものとして、各ブランドの小売価格を比較してみた。表2では同じサイズで、同じ規格のブラウン管のテレビで比較した各ブランドの価格である。同じサイズ、規格のブラウン管でも日系ブランドは地場企業よりも何割か高い値段をつけている。さらに、そもそも日系ブランドでよく売れているテレビは地場ブランドと同じ規格のものではない。例えばプロジェクションテレビの市場では日系4社で66%のシェアを占めている。
日系ブランドと地場ブランドとでは売れているテレビの単価が全く異なることは、表3の分析からもわかる。この表は2002年11月(および1~11月)における台数ベースの市場シェアと金額ベースの市場シェアを示している。金額によるシェアを台数によるシェアで割ることで、各ブランドの単価が全体の平均単価を1とする指数の形で示される。これをみると、ソニーのテレビの平均単価は長虹の4倍以上、松下は3.8倍、東芝は3.7倍となっており、同じテレビといってもかなり質を異にするものを販売していることがわかる。表2ではかなり高い価格をつけていた海爾は表3で見る限り、長虹より20%高いだけであり、基本的には同レベルの製品を販売している。また、日系ブランドのなかでも華強三洋は長虹と単価がほぼ同レベルということも面白い。
おそらく日本企業の当初の目論見はもっと大きな市場シェアを取ることであったと思うが、中国企業どうしの激しい競争の結果、普及品の市場はほぼ地場企業に明け渡すこととなり、日系ブランドは地場ブランド製品の4倍前後の高価な製品というニッチ市場に活路を見いだすことになったようである。中国市場でもまれる中で、図らずも日本企業は自らの最も得意とする領域に集中せざるを得なくなったのである。
2.洗濯機・冷蔵庫・エアコン
紙幅の関係でデータは省略するが、洗濯機、冷蔵庫、エアコンのそれぞれで海爾が業界第1位で、28.8%、29.7%、23.4%と高いシェアを占めている。一方、2位以下はそれぞれの専門メーカーが占めており、洗濯機では小天鵞、栄事達、冷蔵庫で容声(科龍)、美菱、エアコンでは美的、春蘭、格力などが地場企業では有力メーカーである。外資系企業では、冷蔵庫でシーメンスとエレクトロラックスが2位、3位に入っているのと、エアコンで三菱と日立が3位、4位に入っているのが目立つ以外は概して下位に甘んじている。