毕 业 论 文
学生姓名 学 号
学院 外国语学院
专 业 日语
题 目 中国茶文化与日本茶道比较研究
—以精神内涵为中心
指导教师 讲师/硕士
(姓 名) (专业技术职称/学位)
2012 年 5 月
卒業論文
中山火炬开发区全日通快递分部(分公司)转让,接手即可赢利
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中国の茶文化と日本茶道との比較
—精神内包を中心に
XXX名字
指導教師:
2012年5月
要 旨
日本と中国という両国は二千年余りの友好交流の歴史の中で、いろいろな文化交流の成果ができた。中国で生まれ、日本で花開き実を結んだ茶道は日本伝統文化の代表である。茶道は中国から日本へ伝えられ、日本の伝統文化と結びついて、日本民族の独特な気質と風格が備わった。茶道は日本の宗教、芸術、哲学、社会、美学、礼儀、倫理と融合して、総合的な文化となり、日本文化の中でとても重要な地位を占めている。
茶道についての研究は日本研究のとても重要な分野である。そのうえ、いろいろな成果を取得した。茶道は世界東方の二つの民族の文化交流の結晶で、東方文化の特質をもっている。そのうえ、茶道の研究は東洋文化についての研究と離れられない。茶は中国で生まれ、薬用、祭祀、食用、飲用から一種の文化となり、物質形態の中から精神の高度を昇華して、中国の儒、道、仏の各派の思想を取込んで、独特な文化茶道となった。茶道は中国の歴史の各時代の文化、政治、経済などに深いかかわりがあって、中国社会の発展に大きい影響をあたえていた。
本文はお茶の文化の定義と発展から出発して、精神内包を中心に、中日のお茶の文化と日本の茶道を比較して、この二つ茶についての文化の相違の原因を探求する。
キーワード:茶道 茶文化 精神内包 比較 相違の原因
摘 要
中国和日本在两千多年的友好交流的历史中产生了很多文化交流的成果,诞生在中国,光大于日本的茶道就是其中的一朵奇葩。茶道自中国传入日本,与日本的传统文化相互融合从而具有了日本民族独有的气质和韵味。它与日本的宗教、艺术、社会、哲学、美术、伦理、礼仪溶为一体,从而行成了一门综合性的文化,在日本文化中占据着十分重要的地位。
对于茶道的研究一直是日本文化研究的一个重要领域,而且取得了许多重要的成果。对于茶道的研究离不开对对东方文化的研究,茶道是世界东方两个民族文化融合的结晶,具有东方文化的特质。茶起源于中国,从药用、祭祀、食用到饮用,最终成为一门文化,从物质形态升华出精神内涵,融合了中国儒教、道教、佛教诸派思想独成一体,留下了中国古代文化、政治、经济的烙印,并对中国社会发展产生重要影响。
本论文从茶文化的定义和发展出发,以茶文化反映出的精神为中心,对中国茶文化和日本茶道进行比较,从而探讨两种茶文化不同的原因
关键词:茶道 茶文化 精神内涵 比较 不同原因
目 次
要旨
摘要
1 はじめに
1.1先行研究について
1.2研究の目的と意義
1.3 研究の位置づけ
2 中国の茶文化について
2.1 茶文化の定義
2.2 茶文化の発展
3 日本の茶道について
3.1 茶道の定義
3.2 茶道の発展
4 精神内包の比較について
4.1 茶文化の基本精神
4.2 茶道の基本精神
4.3 まとめ
5 精神背景からみる相違の原因
5.1 中国茶文化の背景――仏、儒、道
5.2 日本茶道の背景――禅
6 終わりに
参考文献
謝辞
1はじめに
1.1先行研究について
今は日本でも中国でも茶道についての研究がたくさんある。例えば、中国では滕軍『日本茶道文化概論』や孫東民『鏡頭中的日本』などがある。日本では田中仙翁の『茶道の美学 茶の心とかたち』や成川武夫の『千利休茶の美学』などがある。滕軍『日本茶道文化概論』は日本茶道の歴史、内容、道具、建築、作法、精神及び美を紹介したのである。しかし、茶道や禅の関係を言及しなかった。孫東民の『鏡頭中的日本』は図と文を含んで、日本を紹介するのである。しかし、具体的に日本茶道を研究する本ではなく、日本の事を簡略に紹介したのである。田中仙翁の『茶道の美学 茶の心とかたち』は茶人の視点から、茶室における所作の美と、茶道具をあつかう点前の方法を平明に説き、あわせて茶の湯の美意識と作法の時代による変遷を解説するのである。しかし、茶道と禅の関係を言及しなかった。
大森和夫が編集した『日本』という本の中に、茶道は一つの日本伝統的な文化として歴史や作法について詳しく紹介された。
1.2研究の目的と意義
お茶を飲む風習は、紀元前からすでに中国で行なわれていた。中国から日本に伝わったお茶は、禅とのふれ合いの中で、茶道へと独自の発展を遂げてきたのだ。中国と異なって、お茶を入れて飲む事を楽しむのみならず、宗教、生きていく目的、及び茶道具、茶室、広い分野に跨る総合芸術として、長い間日本の文化に深く根をおろし、無視できない影響を与えてきた。そして、日本の茶道を研究するのは更に日本文化を理解するために、重要な意義があると思う。
1.3 研究の位置づけ
本文はお茶の文化の定義と発展から出発して、内包を中心に、中国のお茶の文化と日本茶道を比較して、この二つ茶についての文化の相違の原因を探求する。
2 中国の茶文化について
中国の茶文化と日本の茶道を比較するために、まずその二つ文化の定義と発展を検討する必要があると思う。それで、本章では中国の茶文化を茶文化の定義と発展という二つの面から分析したいと思う。
2.1 茶文化の定義
「中国茶文化」に王玲さんは茶芸と茶道精神が茶文化の核心だと言われた。茶芸は茶文化の外部の表現形式である。これはお茶の製造、茹でること、お茶の品定めをすることなどの技術である。茶文化は茶芸を行う時に、追い求める精神境界と道徳である。これは茶文化の内部ことである。さらに、茶文化が理念として茶芸を導く。
2.2 茶文化の発展
中国の茶文化は三国から啓蒙したのである。茶は物質形式として他の人文科学にしみ込んで、それで茶文化を形成することが出現していた。
茶文化の芽は晋代、南北朝である。文士は飲茶ことが勃興につれて、茶に関連した詩詞歌賦も多く出て、茶はすでに一般的形態とした
唐代は茶文化の形成である。そのときに、自然と人文科学の二重性を含めて、飲茶芸術を研究して、儒、道、仏を飲茶中に入って、中国茶道精神を創造していた。
茶文化の栄えは宋代である。宋代で、茶文化は大きい発展がすでにあって、茶文化の発展を推進して、文士中出に専門飲茶社会団体を顕わしている。
茶文化の普及は明朝である。茶の類の増加、お茶を入れた芸事は以前と違って、茶器の様式、素地、紋様はおおくなっている。清朝茶の輸出は正式な業界に発展して、茶書、茶仕え、茶詩は数え切れない。
3 日本の茶道について
3.1 茶道の定義
日本の茶道というのは、喫茶という単純な習慣ではなくて、さまざまな作法を持ち込んで、客人に抹茶をふるまう事で、茶の湯と言える。茶を入れて飲む事を楽しむだけではなく、生きていく上での目的や考え方、宗教、そして茶道具や茶室に飾る美術品など、広い分野にまたがる総合芸術として発展するのである。
茶道の中の「本来無一物」と「無一物中無尽蔵」という哲学の考え方、非対称、簡素の美学の思想また、平等、相互の尊敬などの道徳の観念があり、また、独座観念的な自省の精神は、日本茶道の独特な特徴である。
3.2 茶道の発展
日本茶道は、中国の仏教の禅に影響されて醸成した。
12世紀の終わりに、中国で禅宗を学んだ僧、栄西が茶の種とともに茶のお湯の道具、礼式を日本に持ち帰った。この茶道が日本で独自の発展にわたり、日本の風土や日本人の心情に合った伝統文化としての日本の茶道になった。茶道が時代とともに形が変わっているが、その精神が変わらなかった。
室町時代に村田珠光が茶と禅の精神の統一を主張して、茶室で心の養成を求める「わび茶」を作り出した。「わび茶」の方式が千利休によって完成された。16世紀の末、千利休によって茶道の儀礼が定められ、心と形を伴った茶道が確立した。茶道は、豊臣秀吉や諸大名の保護を受けて大い流行し、茶道の発展とともに、茶室、茶器、庭園などに優れた芸術作品が生み出されるきっかけとなった。その時から、茶道の「和」、「敬」「清」、「寂」の精神を提唱し、現代の日本茶道を創造した。
4 精神内包の比較について
4.1 中国茶文化の精神内包
中国がいち番早く「茶道」の概念を創出したのだが、しかし正式の儀式は何もない。中国の茶道は始めは精神を重じんて、形式を軽んじたと言える。中国のお茶の文化は儒、仏、道の精華を吸収して、「中庸」、「禅と茶の合一」、「天人合一」を強調して、自己の精神を形成した。中国の文化はまた「儒、道が互いに補い合う」に従って、儒家の中庸の調和がとれた観念と道家の「無為自然」の思想とは茶文化に対する影響が非常に大きく、そのため中国のお茶の文化は天然美を崇め尊んで、日本のように厳格な儀式を余り重視せず、広域性と大衆性にのみその特色を有する。従って、中国では日本式のお茶の「道」を形成していない茶「道」があるのみである。結論的に言えば茶芸と称すれば適当だと思う。中国茶道文化の基本精神については、「廉、美、和、敬、真」はその代表的なものである。
中国人は現実の人生を軽視しなくて現実の世界では幸福と幸せを追及するものである。中国の茶文化は現実人生を重視する中国人で作られたので中国の茶文化は必ず中国国民が現実人生を重視する特性を反映した。いろいろな茶についての詩と著作はこの点を証明した。特に中国の文人と士大夫は積極の時お茶を利用して性格を陶冶して失意の時お茶を利用して人生を慰めて心理を平衡した。
中国の民族特性が中国の思想家の論述したものを反映し、中国の文人と士大夫の行為の中を体現した。その時中国の茶文化を精神意味の中を反映した。中国の茶文化祖師である陸羽はお茶が人格の修養の方法ということを定義した。「精行简德」というものは茶人への要求である。唐朝から現代まで、お茶の飲むのは国民の心でずっど高潔な人格の鍛練するマスコミである。唐朝の詩人である苏轼はお茶は「佳人」だと思った。北宋の宋徽宗にもお茶の飲むのを通じて意志を鍛練できると思った。
お茶は中国人にとって平和のものである。お酒のように興奮させるのができない。お茶の飲むことを通じて人の心情を平和し、協和の雰囲気を作ることができる。唐人である裴汶がお茶への体験が一番代表できる。“その性は精清で、その性は清潔で、その用は悩みを除去して、その効用は平和に達すること。お茶が協和の効用ができるので中国国民に好きになられた。無論儒家或いは道家でも協和な人間関係と国民性格を追求するつもりである。儒家の孔子の「礼」は一番目覚ましい特徴は親族関係を核心としての人々間での協和統一関係である。そして、老子の冷静で理性の生活知恵も「和」の境地に達するようになった。
4.2 日本茶道の精神内包
日本の茶道の思想は美術、書道、禅など日本の風土が育んできた文化的な結晶と思われている。日本の学術界で日本茶道の思想を説明するときよく「和敬清寂」、「一期一会」、「独座観念」という三つの概念を使っている。それで、次には日本茶道の基本精神を論述したいと思う。
4.2.1「和敬清寂」
日本では、茶道は最初貴族や武士、僧侶など上流階層に属するものだったが、あとに民間に普及し、日本の伝統文化の代表である。こんにちに至っている。茶道の提唱する根文精神は、「和、敬、清、寂」の四文字に概括され、千利休の集大成した「侘び茶」精神の「四諦」とも「四規」とも呼ばれており、「侘び茶」を代表するもっとも簡潔なことばとして、いまなお人口に膾炙されている。
「和、敬、清、寂」の「和」は、「和諧」の意味だけでなく、「和悦」の意味もある。この「和」は、茶道の整体過程を支配する。「和諧」は形式の方面を重んじて、「和悦」は心の中での感情を重んじる。茶室には、雰意気が、この「和」の精神を基にしてなっていた。茶事には、触覚的な「和」も臭覚的な「和」も視覚的な「和」も聴覚的な「和」もある。和は調和の和人と人人と自然すべてのバランスにおける和の精神敬は相手を敬うこと。相手を尊敬しゆずり合う心があれば穏やかな心となる。
「敬」という文字は、二つの意味がある。「敬」は、「他人をうやまい、自分をつつしむ。」という意味である。自分に対して場合には、「用心する、過ちがないようにする」、「謹慎する」、「重んじる、大切にする」などの意味がある。他人に対して場合には、「尊敬」、「敬意がある」などの意味がある。そして、茶道に関する「敬」は、大体「自分を愛し、他人を愛する」との両方の意味が一緒にある。
「和、敬、清、寂」の「清」は、清潔の意味で、茶道の作法でよく強調されている。茶道の本来の目指しは「目」、「耳」、「鼻」、「舌」、「身」、「意」、つまりいわゆる「六根」を浄化することである。もっと多いのは霊魂に対して浄化したと指す。つまり、清は清掃清潔外見だけでなく心の美しさである。
「和、敬、清、寂」の「寂」は、「静寂」であり、外界の邪魔がない静かな空間で、自分の心をよく反省して、深い思索中で内心の落ち着いた感覚を求めます。日本の茶道は日本文化の代表と考えられている。「和、敬、清、寂」は茶道の法則と考えられていて、日本茶道には一番重要な思想である。「和」は、主に主人とお客様との「和」の関係と思われている。「敬」は、お互いの尊敬感情である。「清」は、必ず心の純潔を保つはずである。「寂」は人間に全部のものを忘れると要求されていて、新しい世界を創造すべきである。日本の茶道文化は日本人の「和」の意識をよく体現するものである。寂は静寂であり、しんとしたなかにもどっしりと落ち着いているさまである。
以上の「和、敬」は人間関係を指し、茶を飲むことを通して互いに尊敬し合い、心の交流を目指す。「清、寂」は環境、雰囲気を指し、安らかで静かな茶室と、慎ましく素朴な茶器で、人に穏やかさと内省の機会を与えることを目指すのである。寂の実現は和、敬、清を実現した後にしかできない。即ち、「お互い仲良く(和)敬いあって(敬)、見た目だけでなく心も清らかに(清)何事にも動じない心(寂)を持ちなさい」という意味である。
4.2.2 「一期一会」
茶の理念を「一期一会」と表したという。お客を招く茶会はいつの時でも、一生に一回限りであるというひたむきさと和みな気持ちで対処し世と思いであるが、人が人として生きていくのは全てが「一期一会」であらねばならない。本日一日も二度とない一日であるだろうし、人との出会いも、日々の生活にも、「一期一会」の精神は存在する。
茶道は宗教心をもたずさえている。社会も人間も宗教心を持つことが、人としての傲慢さを抑え謙虚差を生みだす。今までの経済至上主義は時として、他人に対するおごり、自然に対する傲慢さが存在した。いつも自らを省みる慎みふかさが、また人間の高い精神性を醸成していくのである。
4.2.3 独座観念
「独座観念」とは、茶会(茶事)が終わって客が帰った後、亭主はただちに片付けを始めるのではなく、一人茶席に戻り、釜の前に座って、お客様は今頃はどこまで帰られただろうか等、思いを馳せながら、今日の茶会(茶事)はふたたびかえらないことを観念し、一人でお茶も点て頂く、寂獏として打ち語らうものは釜の音のみ、との境地を説いたものある。
4.3 まとめ
実には、前の論述を見ると、日本茶道は仏教のほかに、中国の儒教や道教の精神も含まれている。「和敬清寂」と言う日本茶道の本質「和」は儒教の「中庸の道」と道教の「天人合一」と共通している。
中国の茶文化は積極的、楽観的な人生態度を表す。茶で励まして、楽しみをもらう。失敗する時、茶で慰めて、バランスがとれる。茶の専門家庄晩芳さんは「茶を飲むように、精神がいっぱいで、仙人らしいの楽しいだ。」と言った。
日本の茶道では「一期一会」という言葉がある。それは「人との出会いを一生に一度のものを思い、相手に対し最善を尽くす」という意味の言葉である。茶道ではこれら精神にのっとってお茶と点てる事を大切にしている。中国の茶文化は大きいな体系である。日本の茶道文化は中国から伝えた、中国茶文化の神髄を吸収して、茶芸形式と精神を取ったことだ。自分の民族特徴と民族精神を結び合わせて、日本茶道を創立した。中国の茶文化は巨大な科学体系であり、さまざまな茶道流派を形成した、日本茶道もその中のひとつである。
5 精神背景から見る相違の原因
中国の茶文化は日本の茶道と異なる。なぜであるか。この問題を解決するためには、茶文化と茶道の背景から分析しなけばならないと思う。それで、前の精神内包の分析を踏まえ、次には中国と日本のお茶の精神背景から精神内包の相違の原因を分析したいと思う。
5.1 中国茶文化の背景――仏、儒、道
中国茶文化の思想基礎は儒家、道家、仏教を融合して形成した。儒家は「中庸調和」の学説があり、道家は「神と人間を合わせる」の思想や長生き観や養生観があり、仏教は修身の精神がある。これらは相互に融合して、相互に統合する。茶の礼儀は中国茶文化の主要な内容であり、儒家思想を表す。それは「三道茶」が重視されて、一つ目の茶を飲まず、敬意を表す。二つ目の茶を飲む、会話を表す。三つ目の茶を飲まず、客人を送っていく。また、静かな室内や縁側で茶を飲む、そういう環境は道家思想が静寂と清潔を重んじる。仏教は悟ると飲茶を結び合せる。
中国の茶文化は薬から起源さらたものである。中国の道教の養生思想と緊密なつながりがある。特に唐朝時代ではお茶は多分神仙思想とつながって精神文化分野に昇華した。中国人は「道」が完全な思想学説である。宇宙、人生の法則と規律である。だから、中国人がよく“道”を言わなく、中国の飲食娯楽の中で「道」と言えるのが茶道だけである。我々はよく茶道を茶文化と言う。
中国の茶文化は「中庸」、「禅茶意一味」、「天人合一」を重視して絶えず「真、善、美」の境地を追求する。中国人がお茶の飲むのを重視してお茶を人類が自然と融合間のマスコミだと考える。
荘、禅の審美境地は是非を考えなくて功罪も考えなくて自分を忘れて自分と全宇宙一体になる。荘子言ったような「天地が広くても美を重視過ぎないこと」、禅宗の「瞬間が永遠」である。中国のお茶についての詩、作品に述べた多くのお茶の飲む体験では言った審美境地はこう言う境地である。一番代表できるのが唐朝時代の詩人の『七碗』という詩での「お茶を飲むのが仙人になれて蓬莱仙島に入られる」である。このような境地は中国の文人にその中に耽溺して心霊の慰めることと満足を追求させる。
5.2 日本茶道の背景――禅
日本茶道の形成は禅学の浸入するのせいで日本の茶道文化で「禅」はその思想の中心になった。茶人は家での禅者だと考えた。だから、お茶の薬理、お茶の養生効用を重視する中国茶文化により、日本茶道のほうがもっと茶文化の「禅」の意味を強調する。
5.2.1禅の思想
『山上宗二記』の中で、茶道とについて、「茶の湯は禅宗より出たるに依り、僧の行を專にする也。紹鴎、皆禅宗也。」茶の湯と禅の結び付きは、利休の高弟、山上宗二の言葉を引用するまでもなく、よく知られていることである。『茶禅一味』即ち禅と一味の茶道が『禅茶道』である訳ですが、それは言い換えれば、『わび』『さび』の茶道である。虚飾を排した簡素な茶が『禅茶道』の茶風でもある。
茶道と禅の間に共通するものは、精神的なもの、特に自律本願的なものではないかとも思われる。修行により、自分を高めて行く姿勢は、禅は浄土宗などの他律本願的なものとは少し違っていて、茶匠の採用するところとなったのではないだろうか。
昔ポルトガル人のロドリゲスが、「茶道において、禅の宗派を模倣したとはいえ、その宗派に特有のいかなる迷信をも、また宗儀や儀式をもとらなかった。ただ隠遁的孤独、公的な交渉雑事から身を引くことだけを模倣し、不熱心、無気力、優柔不断を去り、万事において意志の果断と俊敏さを模倣した」と記しているそうです。(田中仙翁「茶道の美学」)
茶道には「茶禅一味」という言葉があり、茶と禅は効能は違うが、別々で存在はするものの、茶は禅なしにして成り立たず、禅も茶なしには成り立たなかったのである。また逆に禅を極められないものは、茶は極めることが出来ないということにもなることができると言われている。茶意は即ち禅意也。故に禅意を舎して外に茶意なく、禅味を知らざれば茶意も知らずという言い方もある。
また禅院では、禅の修行僧の生活、行動を細かく規定している「清規(しんぎ)」と呼ばれる生活規則があり、例として、部屋に入るときは右足から入るか、左足から入るかなどが決められていたりしていた。そのような細かに、しかも厳密に決められている清規が現在の茶道の点前に大きな影響を与えたと言われている。では、これほどまでに茶道に影響を与え、また未だに共存し続けているその禅の精神とはどのようなものなのだろう。
5.2.2 茶道と禅のつながり
茶道は日常の俗世を離れ、ちょうど仏教の修行に入ったような生活を理想とする。また稽古は知識で覚えるのではなくて体を通して会得していくものであるが、その方法は禅で座禅を組みながら修行を深めていく方法に大変よく似ている。茶道と禅の間に共通するものは、精神的なもの、特に自律本願的なものではないかとも思われる。修行により、自分を高めて行く姿勢は、禅は浄土宗などの他律本願的なものとは少し違っていて、茶匠の採用するところとなったのではないだろうか。茶も禅も行き着くところは同じ境界である。
「一切の形あるものの否定」は、禅の中の根本的な精神である。茶道もその精神は、「無我」。つまり精神を解放し、真に自由となることである。四畳半の限られた空間の中で、音を聞き、身分も位も全て投げ捨て、日頃の多くの煩わしさから解き放たれて、無限に自己を解放する。茶道のこのような精神は本質的からいえば、「宗教のインカーネーション」である。この場合の宗教は仏教のことで、とりわけ「禅」を意味する。 また茶道によって人をつくる。その人がまた人をつくり、人々が文化を創る。そしてそのようにして創られた文化がまた、より良い人間関係を成すことができる。それが茶道による人間形成、茶道の目指すところである。茶人の立ち振る舞い、侘びた茶室の佇まい等々、禅宗のストイックな雰囲気は茶の道のいたる所に看取できる。禅的であると同時にそれは、日本的という言葉もふさわしいと言えるだろう。
それを見ると、日本の茶道は主に仏教と関わるのである。中国の茶文化は中国の仏、儒、道と関係があるのである。その原因は日本の茶は中国から伝えたのである。この伝える橋は仏教である。そして、日本の茶道は仏教と深く関わるのである。
6 終わりに
本論文はお茶の文化の定義と発展から出発して、精神内包を中心に、中国のお茶の文化と日本茶道を比較して、この二つの茶文化の相違の原因を探求する。
以上の分析を見ると、次の結論を出した。
第一は、お茶を飲む風習は、紀元前からすでに中国で行なわれていた。中国から日本に伝わったお茶は、禅とのふれ合いの中で、茶道へと独自の発展を遂げてきたのである。
第二は、中国のお茶の文化は儒、仏、道の精華を吸収して、「中庸」、「禅と茶の合一」、「天人合一」を強調して、自己の精神を形成した。中国の文化はまた「儒、道が互いに補い合う」に従って、儒家の中庸の調和がとれた観念と道家の「無為自然」の思想とは茶文化に対する影響が非常に大きく、そのため中国のお茶の文化は天然美を崇め尊んで、日本のように厳格な儀式を余り重視せず、広域性と大衆性にのみその特色を有する。
第三は、日本茶道の思想を説明するときよく「和敬清寂」、「一期一会」、「独座観念」という三つの概念を使っている。日本茶道の形成は禅学の浸入するのせいで日本の茶道文化で「禅」はその思想の中心になった。茶人は家での禅者だと考えた。だから、お茶の薬理、お茶の養生効用を重視する中国茶文化により、日本茶道のほうがもっと茶文化の「禅」の意味を強調する。
浅学非才な身であるのにもかかわらず、敢えて今まであまり開拓されていないものにチャレンジして来たが、極初歩的な者しかできず、問題点も免れないのは言うまでもない。小論では資料と研究の不備などで、はっきり論じられないものもあるかもしれない。これからも続けて研究したいと思う。
参考文献
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[6]关剑平著『茶与中国文化』.人民出版社.2001
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[11] 滕军.《日本茶道文化概沦》.东方出版.1992年11版。
[12] 腾军『中日茶文化交流史』人民出版社2004年9月1日
[13] 成川武夫『千利休茶の美学』玉川大学出版部(1983)
[14] 孫東民『鏡頭中的日本』五洲出版社 2007
[15] 水野聡訳 『山上宗二記 現代語全文完訳』 能文社、2006年
[16] 田中仙翁 茶道の美学 茶の心とかたち 講談社 (1996)
[17] 王玲「中国茶文化」九州出版社 2009年
謝辞
時間が経つのは早いものです。あっという間に卒業するところになりました。短い大学四年間には収めたものもたくさんありますし、感謝すべきものもたくさんあります。
この機会を利用して論文指導先生に感謝します。本論文作成中、御支援いただいた多くの方々に心から厚く御礼を申し上げます。まず、指導先生に厚く御礼を申し上げたいと思います。本研究を行うに当たり、お忙しいところ、先生は丁寧なご指導を賜りました。熱心に多くの貴重なご示唆とご意見やお励ましをくださって、また、細部にわたり修正してくださいました。ここに謹んで心から感謝申し上げる次第です
また、資料を集めるとき、学院の諸先生からご支援をいただき、たいへん感謝致します。そして、悩んだりするとき、いつも励ましてくれたクラスメートたちに心から感謝致します。クラスメートのみなさんと楽しく大学生活を過ごすことができて、きっと一生忘れません。ここで、皆さんに感謝の意を表し、皆の輝かしい未来と幸福な人生をお祈り致します。