
2
1.学位論文の内容の要旨
本論文は、祥瑞をもたらすものとして中 から伝わった神獣白澤像が日本社会にい
かに定着し新たに日本文化を構成したかを、新しい資料発掘を伴う資料の博捜作業を
通じて、総 的に検討したものである。その意味で、研究史上初めての白澤論とも言
える。
序章では、これまでの白澤研究は、中 にない人面獣身の姿が日本に広まった理
由を十分説明しておらず、また白澤像流行が日本では江戸時代を大きな画期とするこ
との意味について明確にしていないと批判し、そうした点での解明の重要性を指摘す
る。さらに、従来の研究が日本と中 の資料を扱うだけで白澤の文化的な伝播のあり
様を十分とらえきれていないとして、朝鮮や琉球に意匠として残る白澤像の検討の重
要性を説いている。そうした問題意識のもと、以下の 章が展開される。
第一章「白澤の伝播と受容」では、中 日本 琉球を中心に の白澤の特徴
をあげ、それぞれの で白澤がどのように伝播したか考察している。その結果、日本
と琉球には獣と人面獣身の二つのタイプが混在していること、日本においては人面獣
身の系統が護符として使用されていたことを実証した。そして、これまで他の幻獣と
考えられてきたものが実は白澤である可能性を指摘し、東アジア地域の民間信仰を考
察する上でこうした観点が重要であることを提起している。
第二章「日本における白澤の展開」では、大陸から伝来した白澤が日本において
どのように展開したか、文学作品や絵画資料等を扱いながら、近現代に至るまで通時3
的に検討している。その結果、特に近世期における普及が大きいとして、その原因が
寺社参詣ブームや出版技術の向上等にあることを想定している。この点についてはす
でに言及する先行研究もあるが、総 的に検討した上での結論として大きな意味があ
る。第一部「東アジアにおける白澤のあらたな位置付け」は以上二つの章から構成さ
れているが、日中間だけでなく東アジアにおいて白澤を再検証する内容となっている。
第三章「信仰と白澤」は、白澤という文化がなぜ庶民の間に浸透したか、信濃
戸隠における白澤避怪図配布を中心に考察している。その結果、白澤流行には御師た
ちの活動が背景にあったとする。すなわち、旅行の守り札や病気除けとして彼らの営
業活動にかかわって白澤像が多く配布されたのであり、 地修験間のネットワークが
そこに大きく影響していたとする。
第四章「 文字屋と白澤」では、出版業界において扱われている白澤を考察し、
出版を通じた白澤の広がりを考察している。大坂書肆として江戸時代に白澤図を宣伝
しつつ大きく売り出した 文字屋を取り上げ、出版業界における白澤や妖怪ブームの
先駆け的存在、火付け役として 文字屋を位置づけている。そして、流行は江戸から
始まり大坂などの大都市を経て 地に広まったことを示唆している。
第五章「白澤の周辺」では、白澤を描いた絵に添えられた文章の多くに付けられて
いる『渉世録』や混 される幻獣について取り上げ、『渉世録』の復原を試みるとと
もに白澤を媒介とした人々のつながり、構築されたネットワークの存在などについて
言及している。第二部「日本における新たな白澤資料」は以上の三つの章により構成
されるが、全体として、これまで注目されてこなかった白澤関連資料について考察す4
ることで、白澤の伝播の一端と実態の一面を明らかにしたものでもある。
結語では全体をまとめるとともに、本論文が「白澤」を追究することで、東アジ
アにおける文化と民俗世界の 有性及び文化伝播のありよう、前近代から近代社会へ
の移行を検討したものであったこと、また、日本近世社会の経済発展に裏打ちされた
白澤像の独自的展開を示すことによって、究極的には日本人の心性を文化論として読
み解く試みであったことを述べている。その上で、最後に民間信仰や習俗に関わる白
澤のような存在をさらに多く深く追究することで、官製ではない、その地に生きる
人々の心性や思想の全体が解明されることを問題提起し、自身の今後の課題として締
めくくっている。1
1.学位論文の内容の要旨
2.学位論文の審査の要旨
3.最終試験の結果の要旨および担当者
氏 熊澤 美弓(くまざわ みゆ)
学 位 の 種 類 博士( 際文化)
学 位 記 番 号 甲第5号(甲第12号)
学位授与年月日 平成24年3月20日
学 位 論 文 題 目 白澤論
審 査 委 員 主査 愛知県立大学教授 大塚 英二
愛知県立大学教授 上川 通夫
愛知県立大学教授 久冨木原 玲5
2.学位論文の審査の要旨
本論文は、白澤にかかわる資料を現時点で可能な限り収集して、アジアにおける文
化事象分析としてなされたもので、従来の研究史にないスケールの大きさと新たな文
化論展開の可能性を有している。文化の伝播と展開において日本人の心性の問題にま
で議論を発展させた点には、先行研究に対する批判が内包されている。
本論文の持つ意義の第一点は、白澤を改めて図像学的に丁寧に分析し、時代的特
徴や地域的特徴をある程度論理化した点にある。それにより、日本と中 との間にお
ける文化的変異の在り方が明確となり、結果として従来の研究史を超えるものとなっ
たことである。
第二点は、白澤流行の背景として日本近世における商業(営業)活動の展開を見
据えた点である。これは全く新しい論点ではないが、こうした文化的事象が出版活動
や寺社参詣ブームなどの消費生活とかかわる点をきちんと位置付けていくことは極
めて重要であり、従来顧みられることのなかった大坂書肆 文字屋の営業活動と白澤
図流行とをつなげて考証した点は高く評価できよう。なお、 文学の書肆研究として
は 文字屋研究は新しい論点の提出となっている。
第三点は、白澤にかかわる資料を追求する過程で、現在は確認できない『渉世録』
という書物について可能な限り復原を試みた点である。文献資料に乏しい研究分野で
は、こうした地道な作業が特に求められるが、本論文により、白澤研究はもとより、
アジアにかかわる思想 文化研究が一層進展するものと考えられる。6
以上のように、本論文は、アジアなかんずく日本における文化事象の一つとして
存在する白澤像にかかわる初めての総 的研究として、日本文化論 思想研究に対し
て多くの論点を提出し、今後そうした分野の研究発展に寄与する点は大きいと思われ
る。これらの点を高く評価した。
しかし、その一方で、中 から日本列島をへて琉球へという、本論文の中核ともな
るべき白澤の文化としての伝播論や類型論を学術的に定立するためには、いくつか問
題点も残されている。例えば、資料分析によって明らかにしたつもりの事実と論理が、
白澤図像全体の存在形態について必ずしも十全な説明となっていない点を今後どの
ように詰めていくかは大きな問題である。また、白澤に関係する思想の成立や変化な
どについて、条件 要因 契機 主体などを追究する視点が乏しく、古来より民間に
おいて習俗として伝播していたとするなど、やや漠然とした議論となっている弱点も
ある。さらには、白澤という一点に絞った議論をしために、それに類似したもの、す
なわち文化的類例に関わって見落としたものへの配慮も必要である。中世文学などで
人面獣身の文化的事象を扱ったものはいくつか散見されるので、そうしたものを含み
こんだ研究方法と追究も求められよう。
以上のような問題点はあるものの、これらの問題は、今後の研究の進展によって、
精緻に論理化されていく可能性があり、本論文の価値を損なうものとは言えない。審
査員一 、本論文が博士( 際文化)の学位を得るにふさわしい内容を備えていると
判断した。7
3.最終試験の結果の要旨および担当者
(試験結果の要旨)
愛知県立大学大学院 際文化研究科学位規程第 9 条および第 10 条にも
とづき、平成 24 年 1 月 11 日午後 1 時より、H棟 410 教室において一般
に公開して、試験担当者一 申請者に面接のうえ、論文内容および専門
分野における研究能力について口述試問をおこなった結果、申請者は
格と認められた。なお、申請者は課程博士としての申請者であり、外
語試験を免除した。
報告番号 第 5 号 氏 熊澤 美弓
試験担当者
主査 愛知県立大学教授 大塚 英二
愛知県立大学教授 上川 通夫
愛知県立大学教授 久冨木原玲